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VR中心、雑記ブログ

ブログ名は適当。あとで変えるかも。

www.nikkei.com

iPhoneが登場した時の携帯電話各社に対するインタビューみたいな記事が、iPhone10周年だからか、最近「iPhoneスマホが世界を席巻している現在、この頃の意見を読むと感慨深い」みたいなツイートがバズっていろいろな人が意見を言っていたのだけど、その中に、日本の携帯電話メーカーの人間がiPhoneのタッチスクリーン機能について「エンターテイメント」という言葉を使っていることに対して、「エンターテイメントとして捉えているところが終わっている」みたいなことを言っているツイートがあった。

まじで言っているのだろうか?それとも、現在から見ればそれをエンターテイメントとして捉えるのではなく世の中に普及するようになるインターフェイスとして捉えて最初からそういう頭でいるべきだった、ということだろうか?それは相当難しいと思うぞ。

 

最初からスマホだった世代がどうだかはわからないが、携帯電話を使っていた世代は最初にスマホに触ったときに感動しなかったのだろうか?自分が画面内に指で干渉できる感覚。スクロールさせたり、指二本で拡げることで写真が拡大されたりすることに対する、ものすごく直感的な楽しさ。そういうものを感じなかった人なんているんだろうか?

Appleの設計思想の関係なのか、Appleの作った製品は基本的に「触っていて気持ちよい」ことが多い。Mac OSiOSも触っていて、率直に言って楽しさを感じる。Windowsではなかなかここまで直接的な楽しさはない。(もちろん、Windowsも細かいカスタマイズとかしていくと楽しい時はありますよ。)

つまり、Appleの製品にはエンターテイメント性があるという携帯会社の指摘は私はすごく納得する。

 

で、現在はタッチスクリーンはごく当たり前のものになった。日々そのエンターテイメント性を実感しているという人は少ないだろうけれども、性能の低いAndroid端末とか触ってみればわかるけれども、俄然エンターテイメント性が低い。タッチへの追随がいまいちだったりして、最新のiPhoneを触ると、そうそうこれこれ、と気持ちよさを感じる。つまり、日々それを感じすぎているためにエンターテイメント性を理解できなくなっているのだ。

 

例を出そう。昔ピアノが初めて出来たときにピアノを初めて触った人は感動したはずだ。目の前にある白いやつを叩くと音が出る。バンバンと叩いているだけで楽しい、と感じたはずだ。で、「ピアノはエンターテイメントだ」と評価した人に対して、現代の人間が「ピアノはそれで何を弾くかが問題であって、ピアノそれ自体がエンタメとか終わってる。やっぱり当時の奴らずれてる」とか言うのは、まあそれ自体は正しいのだろうけれども、それでもやっぱりその意見もなんかずれてない?と思うのだ。

 

今、VRを初めてやった人は、多分目の前に現実じゃない世界が広がっていて、手に握ったコントローラーでその世界に干渉できる、というだけでめちゃくちゃ楽しいはずだ。それで「VRにはエンターテイメント性がある」というかもしれない。でも、10年後くらいの人がそれを見たら「VRで何をやるかが大事なのに、VR自体が楽しいとかなんとか、当時の奴らは終わってるな」とか言うかもしれない。

まあでもそれはそれで、つまるところ、新しいもののエンタメ性が当たり前になるくらいに普及したってことだから、いいことなのかもしれない。

 

 

※追記:あーでも、もしかしたら当該の、エンタメとして捉えているなんて終わっているみたいなことを言っていた方は、「写真をピンチしたりすることをiPhoneが単なるお遊びで入れている」という判断を当時の携帯会社がしていると解釈していたのかもしれないな。俺は上の記事をそうは読まなかったけれども、そういう解釈ならば確かにどうなの、っていう意識にはなるかもしれない。